2010年03月02日

陰陽師 (完) 全13巻

【陰陽師】 全13巻  /岡野 玲子(原作/夢枕獏)

平安時代前期。西暦では960年前後。都は平安京、帝は村上天皇。菅原道真の怨霊に怯えていた時代。
陰陽寮に職を持つ当時の陰陽師の第一人者、賀茂忠行は、大膳大夫(だいぜんだいぶ)阿部益材(あべのますき)と葛の葉と呼ばれる狐との間に出生とされる安倍晴明を愛弟子にして、手塩にかけ教えを移していった。(作中、母は橘文子との大胆な仮説表記)
歳月経て、稀代の陰陽師として名が知られるようになった晴明と、親友で醍醐天皇第一皇子克明親王の子、殿上人ながらも武骨で、しかし笛の名人の源博雅との冒険譚。
博雅は天皇の年上の甥。母方の祖父は藤原時平で菅原道真の宿敵にあたる。

93年から2005年までの連載。コミックバーガーからコミックバーズ(5巻途中収録分から)。その後(9巻途中収録分)は月刊メロディにて連載。
手塚治虫文化賞マンガ大賞、星雲賞受賞。
文藝春秋から刊行の原作に沿っているのは中盤部まで。

だいぶ以前に数巻を読んだが、改めて丁寧に読み直して、感嘆する。面白かった。
まず初読の時はまだまだ歴史を知らない頃で、今だからこそ気づくことが多い。それでも知識は足りてないが。
かつては内容よりは人気漫画として気軽に読んでいたが、今はついつい調べ物に走ってしまい、ちっとも読み進められない。が、楽しかった。読了まで普段の5倍の時間がかかった。その上途中で酸欠になりそうだった。

陰陽師ブームの頃、岡野さんと親しい方の計らいで、ご本人にお目にかかり生の原稿まで見せていただいたことがある。興が乗ってその場で絵まで描いてくださった。
そのありがたさは今ではよくわかるが、その時は漫画そのものより人に興味を感じていて話が弾み、ぼうっと拝見していただけに思う。もったいなかった。まったくもって無知の怖さ。
先日は東吉野の丹生川上神社中社の宮司さんとも感心しあった。訪ねた時、宮司さんがこの本を見せてくださったのだ(ファンが訪れるからだと今はわかる)。この神社周辺も描かれている。

漫画の可能性の深さを思い知る。どれだけの表現がまだ隠されているのだろう。
構成は読みやすく、さすが。絵は繊細。見事な筆捌き。色が何より素晴らしい。絵巻のよう。意匠もどんどんと細かく凝ったものになる。
そもそも漫画が発展したのは、歴史的に日本は絵を(芸術を)個人の栄誉やエゴに固定化させずに(署名しない文化がまずそれ。西洋のオトグラフとは違う)、ちょっとした落書きすらをも受け入れたからだ。

かなり詳細にいろんな角度から調べ上げていて、独自の仮説も唸る。ため息とともに感服。
読んでいると晴明たちとともに庭を眺めながら酒を酌み交わしているようなたゆたゆとした優しい気持ちになれる。晴明と博雅のやり取りは雅楽を楽しんでいる気分になる。
晴明が博雅に「森羅万象に比べれば自分たちはちっぽけなもの。しかしそれを認めたからといって、行を放棄したり負けてはいけない。人も森羅もそれぞれに敵わぬところあり、それぞれに存在の価値がある」すべてに意味があると、因果を語る。そういったことを考えることが何かの前兆を読み解くことにもなる。
在原業平のくだりで晴明が「控えめに本当のことを言っても、人々は声の大きい目立つ方について行ってしまう」と、価値観の相違と理解の困難について語る。ささやかだけど見逃さないで拾うのは難しい。

最後の方はそれぞれがシンボルや在り様として登場して、キャラクターを超えてしまう。どんどん晴明が切なくて仕方なかった。晴明自らハイヌヴェレの神への神饌になる。
人というのは、最後に残される感情は「せつなさ」なのか。巡る時も何もかも。これが「哀れ」なのだろう。それを越えて「豊かさ」になる。
ここまでくると葛の名は象徴だ。
読み終わるまでこんなに苦しい作品はなかった。そして読了後の開放感も大きかった。
晴明が自由を認識した時、思わず泣けた。

以下は個人的覚え書き。今の自分のレベルのこれから調べたいこと中心。ほとんど独り言。
ちなみに陰陽道に関しては輪郭がわかるくらいでかなり知識不足。

内裏は北極星(北辰)の位置だったことに気づく。
1巻に吉祥草寺が書かれる。この「茅原山の修験」が気になる。この場所に講として存在したのか、修験全体のことを語っているのか。
桓武天皇の都の作り方は後に調べてみたい。早良親王の怨霊はずっと気になっていた。
九字は天台と真言で違うのは知らなかった。天台では身を護るため。真言は敵を破るため。陰陽道の九字もまた違っていて面白い。神仙道では神山に入る前に行者が誦する秘呪。
真葛の抱いている薫炉は正倉院宝物の銀薫炉がモデルだと思われる。羅針盤構造という、中の火皿が常に水平に保たれるようになっている仕組みらしい。素晴らしく優雅な技術。
追儺の意味を知って、なぜ東大寺のお“水”取りに松明が駆け回るのか、わかった気がした。
賀茂氏の祖神と泰山府君(赤山明神)が神の性格上繋がりがある、の部分が知りたい。わざとさらりと流して含ませてあるので気になりすぎる。調べてみると、泰山府君=牛頭天王。聞いたことはあったが流していた。牛頭天王はスサノオだ。熊野や太秦で見る。祇園祭(賀茂の祭り)は牛頭天王から始まっている。賀茂の祖神、阿遅鋤高日子根、別名は迦毛大御神(かものおおみかみ)は、大国主の子なのでスサノオの血縁だ。祭られているのは高鴨神社。上賀茂神社と下鴨神社の奥の院にあたる。安倍晴明の祖先にあたる役行者小角の父はここの神職だったとの一説もある。古事記で天照大御神と同格扱いなのはこの神だけだ。国津神のトップのいうわけか。
古の人たちは水銀の怖さを知らなかったのだと思っていたが、そうではなくそれを超えた肉体変容を望んでいたことを知り驚いた。そうなれば別な視点が出来て、それは高い精神性だ。
打ち伏し巫女の祝詞は何? 物部系の祝詞にも見えるけど別物の気がする。どこまで秘の書を繰っているのだろう。賀茂の若宮が降りて託宣とは下照姫のこと? 出雲系の祝詞なのだろうか?
晴明の語る陰陽五行論はわかりやすい。バックミンスター・フラーや黄金比にはまりまくったことがあるので幾何学解説はわくわくが止まらなかった。数学は本当に美しいと思う。ここの情緒が前出の銀薫炉に重なるのだ。
これを見ていると、ますます安岡正篤あたりの書物から易経を学びたくなる。カバー見返しの卦も気になる。たぶん内容にリンクしていると思われる。(終盤の安摩の舞で晴明が倒れた後、夢の中で視たヴィジョンでは後天図が描かれる。これで初めて、神々は星々のことなのだと心底腑に落ちる)
ちなみに昨年から今年にかけては艮金神の二年間と言われ、膿出しでいろんな変革があると言われる。
囲碁にも興味が出た。やっと「ヒカルの碁」に手をつけられる。
7巻で晴明が菅公に対する時、読み上げた祝詞は吉田神道のものか(大本教っぽいけど、この尊神の名は吉田神道)。大元尊神は国之常立神のこと。私の薄い知識の中でも、確か、平安時代当時に起きたオカルトブームは、現代のノストラダムスや2012年マヤ暦の世紀末思想のようなそれに対する講じ手として、吉田神道的なものは“流行って”はいるが、吉田神道が大成したのは後年の室町だ。あえてここで作者が晴明に詠ませているので、何かこれに基づいた資料があるんだろうし(言っている人がいるんだろうし)、それにこの作家さんは出自のない仮説は立てそうにない。
この時、博雅は菅公に対しての感想を「いいなあ…」と漏らす。素直な博雅らしいし、裏を返せば悟りに向かう全ての人の、胸の内の代弁だ。ページの終わりに持ってきて、その効果は韻を踏むのと同じで唸った。その後も深い。
眠っている時にも烏帽子をつけていて驚く。この時代はそうだったのか。
駒清水は現在の瓜割の滝。ここでの駒は龍のことらしい。
貴船での龍神祝詞の後の祝詞がわからない。陰陽道のものか?
北野の社(天満宮)の元々の主祭神は火雷神とのこと。=菅公の説もあり。ここでは雷神として描かれる。私は火雷神≠雷神だと感じている。
「神楽は反閇である」と、この作者が語った晴明神社が編集した書物「安倍晴明公」をかつて読んでおいて良かった。この本は「こんなことまで話して良いの?」と、ドキドキする箇所が多く面白すぎた。今は絶版。
後半の呪に関して理解が深まる。
晴明の自棄は共感実感できるだけに、胸に留まる。これ以上は言葉にできないのも「そう」だ。大いなる意志は容赦がない。とことん手放させるし、突き詰めてくる。晴明がもっとも苦にし忌まわしいと感じるところまで己を捨てさせる寄り切り方には溜め息だ。
10巻からはよくわからないと批評されている。しかしこんなにも切ない、我が身に移らせられる内容はひたすら沁み入る。まさに「人事尽くして」だ。この「対」は出雲に繋がる。
安摩は圧巻。こういう内容を表現できるものなんだなぁ。感慨深い。やたらと頷きまくった。
「言う」と「責任取らされる」よね。
貝でフラクタルを描く。
禹歩のスピードは納得。
真葛はスサノオの娘か。
11巻からは宇宙構造をフラクタルで説明しながら、仏教や禅で言えば悟りと融合にあたる部分を描いていく。竹内文書は未読だが内容はこれに重なっているところも。かつて天河の“仙人”から教えられた話に重なった。視ている次元の差異だ。
勾股法(こうこ)に興味。
12巻の最後の方で晴明が語る陰陽師の能力について、同じことを占星術のプロも話していた。となるとケースワークを学ぶことは大きいといえる。
修験の祭りでも四隅より弓を射るのが少し理解できた。

今の時期に通読できて良かった。少なくとも以前だったら読みこなせなかった。
ここから先はああだこうだ勝手に語る。どこまでいっても言葉遊びに過ぎないが。ホントのことなど誰もわからないのだ。

読了直前にお茶した読書家の友人に勧める。いくつかの質問があったのだ。
「記紀(古事記と日本書紀)の素養があって、易経の大まかな枠組みがわかり、道教や密教、修験のだいたいの歴史観が必要で、多少の民族伝承に明るく、ついでに言えば松岡(正剛)さんの“ひとりごと”が理解できる人だと、これは面白い。欲を言えば、若狭から和歌山にかけての旅をしているとなお楽しい」と伝えたら、大笑いして「それは普通ではハードル高すぎだね、とくに松岡さんの“ひとりごと”はなかなか」。
この友人は旅まで含めてどれもクリアしている(私はまだぜんぜん)。若狭から串本は“龍の背骨”とも言われる水の道。
特に彼は学問としての易経の専門。深すぎて占もできる。
作中の内容から「後天図」を描いてみたので、ここに天文の星が重なるのかどうか、彼に読み解いてもらおうと思ったのだ。
スサノオの部分はよく言われるところだけど、卦に九星を入れるのは実は無理があるとの意見。ましてやタケミカヅチのオリオンくらいで星も重ならない。この後天図の中で「天津神と国津神が一緒で、記号としてみても土俵は違うはず」。「考え方はいろいろあるけど」とも。
ただ、私がつい「後天図」に落とし込んだけど、実は「先天図だったのかも」と途中で気づく。他にも穴を質問されたからだ。
大まかは変わらないけど、まだまだ勉強不足ではある。

確かにこの作品、他にも実はかなりツッコミどころはあるのだが、仮説として良く出来ている部分が多いので、重箱の隅になる。いろんな意見があってよい。

時代が変わり、星と地球との関わりの変化とともに(※)、これらのプロトコルがもう使えなくなってはいるが、こういうのを読んでしまうと民俗学とか古代史もっと真剣にはまりたいなー、と思う。そんな時はこのノックをやめたくなる。時間足りなすぎ。

読んでいる時のBGMは意外にもロックが合って、それもしっくりきたのがFranz Ferdinand。驚きというか納得というか。オルタネイティブの香りがするからか。
                         2010/2/28

※ ちょうどNASAからチリ大地震の影響で地軸が8cmずれたと発表された。2004年のスマトラ地震でもずれている。とすると、地球と北極星の関係は以前ほど密にならない。当時からどれだけずれているのかわからないが、そういうのも影響してくる。

《こんなふうにおススメ》
この生命の意義を考えたい方に。たっぷり考えさせられます。

【コミックセット】


【コミックス】

posted by zakuro at 16:08| Comment(0) | 漫画-少女レディース系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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